オステオパシーとは

オステオパシー医学の歴史

1824年

オステオパシーの創始者
アンドリュー・ティラー・スティルは
アメリカのミズーリ州カークスビルで
メソジスト教会伝道師の息子として生まれる。
1874年
アンドリュー・ティラー・スティルによって
オステオパシーが発表される。
1892年

アメリカン・スクール・オブ・オステオパシー
設立(教師2名・学生21名)。
1896年
アメリカ・バーモンド州においてオステオパシー医療業務が初めて法的に認可される。
(アメリカは州ごとに認可される。ここまでも
スティルはかなり反発にあったと記録されている。)
1897年
AOA(アメリカ・オステオパシー発展協会)
発足。
1898年
オステオパシー大学協会設立(現AAO)。
1899年

ウイリアム・ガナー・サザーランドD.O.により
頭蓋縫合での関節のメカニズムの研究がなされ、
頭蓋に対するオステオパシー療法という
新しい分野が開拓される。
1903年
ジョン・マーティン・リトルジョンによって
イギリスにオステオパシーが伝わる。
1910年
アメリカでオステオパシーが医学として公認される。 フレックスナー・レポート(アメリカ医学 教育に大きな影響を持つ。)でオステオパシー 学校が報告される。
1918年

アンドリュー・ティラー・スティル死去。

イギリスで最初の学校
ブリティッシュ・スクール・オブ・オステオパシー設立。
(マニピュレーションによるオステオパシー治療が、アメリカを含め世界中に大流行したインフルエンザに 非常に効果的であることが分かる。)
1939年
サザーランドD.O.がThe Cranial Bowlを出版し、頭蓋調整法の基礎概念を正式に発表した。
1943年
オハイオ州にてD.O.の投薬が公認される。
1951年
合衆国公衆衛生局が初めて更新可能な教職助成金を オステオパシー大学6校に与えられる。
1954年
オステオパシー医科大学の入学資格に少なくとも3年の大学教育を要求。
1957年
AOAは合衆国教育局健康・教育・福祉科(DHEW)より、オステオパシー教育の認可機関として認められる。
1960年
オステオパシー医科大学の入学時には70%以上が学士号以上の学位を持つに至る。
1961年
カリフォルニア・オステオパシー医師協会が
カリフォルニア医師協会と合併し、
ロサンゼルスのオステオパシー医科大学が
カリフォルニア医科大学となる。
1962年
カリフォルニア住民投票の結果、
同州でDOの免許下付打ち切り決定に備えて、
同意するDOにはMDの学位が与えられた。
1963年
オステオパシー大学設立助成金および
オステオパシー学生への貸付金に関する規定が
健康に関する職業教育補助法案に含まれる。
1966年
DOが初めて将校に任命される。
AOAはDHEW(現健康人間奉仕科DHHS)より、
メディケアの病院の公認組織として指定される。
1967年
AOAは国家認定委員会により、
オステオパシー教育のあらゆる面に対する
認定機関として認められる。
1974年
カリフォルニア州最高裁により、
DOの免許下付再開の決定し、
同州で新しいオステオパシー医科大学が認可され、 オステオパシー医療業務が復活する。
1983年
DOが初めて陸軍医師団の司令官に昇格。
1993年
イギリスでオステオパシーが開業医などと同じ第一線の医療として国会で認められ、大学となる。
1996年
アメリカ・コロラドスプリングスで世界中の オステオパシー医が集いAAOの総会が行われる。
ここでオステオパシー医に関する世界統一基準が
示され、2002年までに基準を満たさない国は
オステオパシー医、もしくはオステオパスとは
認めないという強い意志が示される。
1998年
イギリスでGOsC(ジェネラル・オステオパシック・カウンシル)の設立により、いくつかあったオステオパシーの団体がひとつになる。
2002年
フランス上院は「オステオパス」を公認。
2003年
WOHO(世界オステオパシー保険機構)設立。
WHOにオステオパシーの標準的なカリキュラム
作成と継続的な教育システムの構築の為の
小委員会設立。
2004年
Osteopathic international Alliance(OIA)
イリノイ州に設立。
2005年
Osteopathic international Alliance(OIA)
初総会。
2011年

3月

WHO(世界保健機構)による
オステオパシーベンチマーク発行。

11月

WOHOを解散し、OIAに活動を引き継ぐ。